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| ミスターマリンとは・・・ 八丈島・西伊豆と海辺で幼・少年期を過ごした杉山 靖が、社会人になってすぐ買ったのがKAWASAKI製の「アクアラング器材」でした。当時アクアラング"をするには先輩の複管式や進駐軍払い下げらしき腐ったボンベ"を借りて小田原や江ノ島、烏帽子岩で漁師と喧嘩しながら潜るしかなかった私には、このKAWASAKI単管式が宝物で桐の箱に入れ毎日のように磨いたものでした。 しばらくは休日になると油壺や江ノ島で「モグリの潜り」をしていましたが、(当時は「ここではアクアラングは禁止です」なんて看板が多かった)1975年ごろ第一次?ダイビングブームと共に本格的にプロになるべく修行を開始し、78年に始めて旧PADI潜水指導協会リーダーシップ資格を取り活動を始め、82年には当時世界一に陰険で?厳しいと噂されたNAUIの10日間のITCを受講しました。 78年から85年までの間はスポーツクラブや大手ダイブショップに契約INSTとして活動をしていましたが、 85年秋に大勢の仲間に協力してもらい神田神保町の1室(車庫)を借りてミスターマリンをOPENしました。 折からの第二次?ブームで狭い事務所に入りきれないほどのSTAFFが数多くのツアーを企画していました。 (今は想像も付かない最大時12名ものスタッフが所属していました) 考えてみればその当時から商品はあまりなくツアーと器材メンテナンスに力を入れた、一風変わったプロショップでした。 その頃一緒にやっていたSTAFFや契約INST時代のアシスタント・ダイブマスター・INSTで結成した十余名の「千代田潜水会」メンバーで毎月、座学や海で安全なツアーを実施する為の勉強・訓練を徹底的にやってきたのと、多くの素晴らしいゲストに参加していただいたことが今日の無事故に繋がっていると考えています。 今考えれば毎月行われた、大島や三宅島・伊豆の海でのトレーニングは、そこらの団体のインストラクター検定会よりは間違いなく過激だったことを思い出します。 その後1988年に、現在の秋葉原に移転してもその精神は忘れず、時代が変わりダイビングがファッション化し、世間のショップの営業スタイルが変わろうとも、「つつましく・謙虚に・安全な」ダイビングショップは、儲かりもせず・つぶれもせず、楽しく安全なプロショップとして頑張っています。 世のベテランたちが社長業に徹したり引退したり廃業したりブランクINSTになったりしても、杉山は現役ダイバーとして1年のブランクも無く(実際は30年間に、怪我での2回の入院で2ヶ月のブランクがあります) すでに約1万時間を水中で活動しています。 ただ海が好きなだけの男はショップを大成させることもなく、 業界に名をはせるわけでもなく、ただのダイバーとして、どこまでも海を楽しみたいのです「伝説のダイバー」になるまで。 |